*****  2008Mar19thWed   *****    世界遺産ヴィクトリアの滝の自然が生んだ究極の美のお話し! シンガポール発ジンバブエ共和国&南アフリカの旅リポート!〜友人の旅日記より〜PART 4! 
Wednesday, March 19, 2008, 22:08 - プチニュース
しとしと降り続く本格的な雨の日。しばらくは数日晴れて後に雨が降る、そんな天気を繰り返します。
冬の間土の中で根を張らして潜んでいた植物達が、この雨で開花を前に水分補給しているのでしょう。
さて、昨日に引き続いて、アフリカ大陸の内陸部の国ジンバブエ共和国について!
シンガポール国立大学での留学時代、諸外国からのクラスメートがいる中、
優等生だった主婦の友人です。ご主人が駐在勤務の中、昼間は学生として授業を受講していました。
明るく、陽気で気さくなご夫妻。今年の初旬南アフリカ・ジンバブエを旅しています。
しばらくは、 Ristorante FUWA le で旅日記を元にアフリカ大陸を体験しましょう!!

さぁ!今日は予告通りジンバブエが誇る世界遺産の滝「ヴィクトリアの滝」!
世界三大瀑布 の1つ、南米アルゼンチンとブラジルに跨るイグアスの滝、
カナダトロントとアメリカニューヨーク州に跨るナイアガラの滝、
そして、このアフリカ大陸ジンバブエとザンビアの国境にあるヴィクトリアの滝。

中でも、落差、滝が落ち始める部分から水面に着水する部分まで、つまりは最も深い滝壷の落差は、
世界の滝の中でも例を見ない108mを誇ります。そして、最大の幅が1700m!!
あまりにも、スケールが大きく想像ができません。とにかく大自然の力が溢れているのでしょう。



さて、奥様の楽しい旅日記より。
『今回の旅の最初の目的地、ジンバブエ。
シンガポールからは南アフリカ・ヨハネスブルグへ飛び、飛行機を乗り換え2時間弱で到着。

ジンバブエを訪れた目的は、世界三大瀑布のひとつビクトリアの滝を見ること。
ビクトリアの滝の幅1.7kmのうち、1.2kmがザンビア側、
残りの0.5kmがジンバブエ側に属します。

現地名は「モシ・オア・トゥンヤ。」雷鳴のとどろく水煙という意味だそう。
その通り!と納得させられる迫力でした。

滝の水が滝壷に落ちた後、水煙となって150m以上も上空に舞い上がるので、
写真左↓↓↓↓↓ それが雨のように頭上から降ってきます。だから快晴なのにレインコート着用。

ビクトリア・フォールズ国立公園の入場料を払う小屋の各月の満月の日程表。右の写真↓↓↓↓↓ 
「何でだろう?」と質問してみました。
満月の夜とその前後3日間は公園を夜間も開園します。通常夜6時のところを9時30分まで。
満月の夜にお月様の照らす灯りで観る滝もきっと美しいのだろうなぁ〜。』

と、ここまで、E-mail の写真に添付頂いた旅日記です。本当にありがとうございます!!

 

そして続いての、写真は↓↓↓↓↓ ジンバブエとザンビアの谷間に架かった美しい虹!!喜

このヴィクトリアの滝がユネスコにより世界遺産に登録されたのが1989年の事。
自然遺産として、ひときわすぐれた自然美、美的な重要性を持つ最高の自然現象をもつ、加えて、
地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本として生物・地形の発達における重要な特性を含む。
と、その理由が記されています。

実は、ヴィクトリアの滝の位置は長い年月の間に移動しています。川の浸食によるものです。
そのため、また将来、別の滝の位置は別の場所へ変わっていると予想されています。

この滝の発見者は探検家のデイヴィッド・リヴィングストン、1855年の事、
ヨーロッパ人として初めてこの滝へ到達しました。ヴィクトリアの名は、英語のQueen Victoria、
イギリスのヴィクトリア女王に由来します。彼女は世界中の王室のモデルとなった人物です。
1837年に在位、イギリスで最も輝かしいヴィクトリア朝時代を築いた女王です。
「君臨すれども当地せず」とし、議会制民主主義を貫き、イギリス帝国を繁栄させました。

この名前からも、当時の人々がこの滝を目にして大自然の美を崇める心情があふれています。
滝の轟くような泣き声、辺りに降らし続ける水しぶきの雨、水流が起こす風、水と光と大地の絶景、
この偉大な美に、驚愕し、立ちすくんだ、ことでしょう。時代を超え人々を魅了し続けています。
 




  |  このエントリーのURL  |   ( 3 / 1693 )

戻る 進む